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三宅博 (野球) : ウィキペディア日本語版
三宅博 (野球)[みやけ ひろし]

三宅 博(みやけ ひろし、1941年6月4日 - )は岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手内野手)、コーチ、スコアラー。
==来歴・人物==
岡山県立倉敷工業高等学校では甲子園に3度出場。2年生の時、1958年春の選抜にエース渡辺博文を擁し出場するが、2回戦(初戦)で立命館に敗れる。翌1959年春の選抜にも連続出場。1回戦で東邦高に大敗。同年夏の甲子園では2回戦で東北高に完封負け。1年下のチームメイトに杉本喜久雄投手広島)、小橋優一塁手国鉄)、中村邦弘右翼手大毎)がいた。
1960年大阪タイガースに入団。同年はウェスタン・リーグ盗塁王を獲得した。1963年には26試合に出場し、オフに背番号を34に変更し期待されたが、翌1964年靭帯断裂の怪我をし、1965年引退した。
引退後、会社員となり球界を離れていたが、1980年にコーチとしてタイガースに復帰。1982年からはスコアラーとなり、2006年に退団した。著書の中でセンスを持ったクセ盗みの名人として島野育夫弘田澄男ランディ・バース和田豊の4名を挙げている〔三宅博著、虎のスコアラーが教える「プロ」の野球観戦術、2013年、祥伝社、P26〕。2007年北京五輪野球日本代表チームのスコアラーとして招集された。
2011年1月からは岡山商科大学硬式野球部コーチとなり、スコアラー時代に培った相手チームの緻密なデータ分析もあり、2012年には同野球部を中国六大学野球春季リーグで12年ぶりの優勝に導いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三宅博 (野球)」の詳細全文を読む



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